こんにちは
支配からの解放者
0→100輸入転売コンサルの伊藤です
今日は徳川幕府の2代目将軍
徳川秀忠にスポットを当ててみたいと思います。
秀忠は父の家康や息子の家光と比べると
あまり目立っていません。
学生時代のテストでも家康や家光はよく登場しましたが
秀忠はあまり出てこなかったと思います。
そんな
父や息子に比べると地味な印象の秀忠ですが
いったい彼はどんな人物だったのでしょうか?
秀忠は家康の3男として生まれました。
本来であれば長男の信康が
2代目将軍の有力候補だったのですが
その才覚を恐れた信長の策略によって
切腹させられていまいます。
ですので秀忠は他の兄弟達と
跡目争いをすることになります。
ところがあの有名な関ヶ原の合戦では
他の兄弟が目覚しい活躍をする中
秀忠だけは真田の軍に苦戦してしまいます。
(真田丸でもやりましたね。)
結局、秀忠は関ヶ原で家康に合流せずに
戦は終わってしまいました。
これはかなり致命的なミスでした。
ところが、
家康は自分の跡継ぎに秀忠を選んでいます。
なぜか?
それは、家康が世の中を治めた後には
武よりも文の才が必要だったからです。
秀忠にはそれがあったのです。
そんな秀忠の性格は
一言でいい表すと「従順」です。
家康に反発することなく
ただただ、父の教えを忠実に守り通しました。
教えを忠実に守ったうえで
自分とその時代に合った政策に整えていったのです。
これが後に300年続く徳川幕府の礎となりました。
これは
「守・破・離」とも少し違いますね。
「守・改・守」とでもいいましょうか。
秀忠は将軍になった後も
年老いた有力な武将達を集めて教えを請いました。
中には父の家康と死闘を繰り広げた者もいます。
ここで秀忠は偉ぶることもなく
彼らの意見を積極的に取り入れていきます。
ここが秀忠のすごい所なのだと思います。
時の将軍が身分の低い者に教えを請うなんてことは
当時ではなかなかできないことです。
身分に関係なく他人の良い意見はきちんと聞き入れる。
これは成功者と呼ばれる方達に
共通している特徴でもあります。
あなたも何か成し遂げたいことがあれば
なりふり構わずに良く知っている方に教えてもらって
忠実に実行してみると高確率でうまくいくと思いますよ。
P.S
ちなみに秀忠は当時としては珍しく
側室を作らなかったといいます。
めちゃくちゃまじめだったのかそれとも・・・。